「好きなことができていて幸せ」の「好きなこと」が苦しいときは、本当に好きなことなのか自分に一度質問してみるのも良い

好きなことをやっているときや、好きなことを仕事にしているときって幸せだと思う。
わたしは有難いことにずっと好きなことをしてきた。
と思ってきた。
でも、よくよく考えたり、人の話を聞いていると「好きなこと」を間違って認識していたかもしれないと思うこともある。
本当に好きなことはモノゴトではなく感覚や感情かもしれない
わたしは小学4年の10歳くらいから27歳までバスケを続けていた。
「バスケ」が好きだったから。
と思っていたけど、バスケが本当に好きだったら、やめないで今もやっていると思う。
本当に好きだったら、やめるという概念はないのかも。
実際に大人になっても週5くらいで、バスケをやっている人はいる。
わたしがバスケをやめた理由は、他にやりたいことを見つけたから。本当に自分の好きなことがわかったから。
他にやりたいことというのは、他の違う分野(その時は美容・健康・ブログ・人間関係・仕事のスキルアップなど)をもっと知りたい、極めていきたいということ
そして、本当に自分の好きなこととは、もちろん「バスケ」という対象ではなく、「自分の成長を感じること」「新しい景色・まだ知らない世界を見ること」「何も考えず没頭すること」という感覚や感情だった。
私と同じように、自分の好きなことが、それを実現できる「対象」をだと思っている人も多いのかもしれない。
それでも、全然問題はない。
自分が感じたい感情や感覚を味わえているのなら、それはすごく幸せなこと。
でも注意したいのは、対象は自分で自由に選べることを忘れないこと。
対象に縛られない。見極める。
楽しんでできているうちはそれを思い切り楽しんで良い。
そこで得られることはたくさんあるから。
でも、他にやりたいことができたときに、そのやりたいことができないと思った時は注意したほうが良いと思う。
本気で続けていれば続けているほど、長年続けていれば続けているほど、離れられない。
その中で絶対に成功してやろう。
自分はまだまだできる。
自分には負けない。
という意地やプライドみたいなのが出てくるから。
これが健全なうちは、モチベーションにもなるから突き進んで良い。
その中で得られる経験は自分の自信にもなる。
でも、これが、
それをやめた時に周りからどう思われるだろうか
周りから「逃げ」だと思われないだろうか
期待を裏切ってしまうのではないか
という、周りに意識が向いた時は要注意。
そして、私の場合はその裏にこんな思いも隠れていました。
こんなところで終わる自分を見たくない
こんなところで逃げる自分じゃない
ここで逃げるなんて惨めだ
まだまだ自分はできるはずなのに
という、自分はまだまだすごいやつなんだって思いたい、ありのままの自分を認めたくない、受け入れたくない、認めるのが怖いという思い。
忘れてはいけないことは、自分が本当にやりたいことは、その対象ではなく、自分が望んでいる感覚や感情を味わうこと。
それを忘れて、周りに意識が向いた状態で続けていたり、ありのままの自分を受け入れられずに、離れられずに続けているのは、それに縛られてしまっているということ。
対象が変化するのは当たり前。変化は成長と捉える。
過去の自分を振り返っても、対象に縛られてしまう理由として下記の2つが大きかったなと思います。
周りにどう思われてしまうのか、という周りの目を気にすること。
と、
ありのままの自分を受け入れられない。という自分を否定してしまっていること。
これはこれで後々も自分を苦しめてしまうので、手離していくことは必要。
ですが、その対象から縛られずに解放できる考え方の一つとして、
「人間は変化することが当たり前。変化は成長。」という考え方をもつととても楽になる。
長年、何か物事を継続していたけど、他にやりたいことが見つかった時。
「長年本気で続けてきたことがあるのに、自分は本当にやめて良いのだろうか」という思いが出てくるはず。
それをやめることが「逃げ」だと感じてしまうことも多いはず。
だけど、「他にやりたいことが見つかった」という「変化」は「成長」と捉えることもできる。
実際に、年齢も環境も立場も変わっている。
その中で自分の考え方や価値観が変わるのは当たり前。変化しないことの方が不自然。
長年続けてきたことをやめて他の事をやるのは、逃げでも何でもなく、「次のステージ」にいくイメージ。
自分の本当にやりたいことは変わっていないはず。
ただそれを実現させる対象が変わっただけ。
また違うステージで、自分の本当にやりたいことを実現させてあげるということ。
苦しむために生きているわけではないから、こういう考え方もありだと思う。
やりたいことをやっていい
わたしたちは、苦しむために生まれてきたわけではない。
何のために生まれてきたのか?
やりたいことをやるためにこの世に生まれきた。
人生はあっという間。
やりたいことをやらない人生ほど苦しいものはない。
「離れられない、縛られている」という感覚は自分でつくりだしている幻想でしかない。
わたしたちはもっともっと、思っている以上にやりたいことをやっていい。
